長崎合気道会は創立以来毎年1回、全会員の作文を集め“道”と題して発刊しています。毎年何を書こうか悩むところですが、今年の原稿提出日の頃はメキシコオリンピックの真っ最中でした。
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武道の心 文集を書き始めたこの夏は、リオオリンピックの開催中。その中でも楽しみにしていたのは柔道。
四年前、日本柔道の再建と復活を託された井上監督は「誇りを失った集団ほど惨めなものはない」「覚悟を持ってやる」と宣言してスタートした。 外国選手に対抗できるように、ロシアのサンボ、沖縄角力(相撲)の練習、スポーツ医学の専門家による指導など色々な方法で肉体作りに取り組んだ。何よりも選手の「誇り」を取戻し、戦う集団へ導いた指導力はすばらしいと思う。
七階級全てメダルで結果もよかったが、選手全員すばらしい戦いだったと思う。中でも私が感激したのは海老沼選手と大野選手で、二人の所作は目を引いた。
畳の上に上がって「礼」、相手と対戦する前の「礼」、試合を終えて相手に対する「礼」、畳を下りる前の「礼」など、日本人選手の大半が単に頭を下げるだけの「形式の礼」になってしまっている。 海老沼選手の「礼」は「武道を意識した礼」で綺麗だった。 大野選手は金メダルを勝取った後、勝誇ったガッツポーズや笑顔で喜びを表現することなく冷静に「礼」をして畳を下りた。「礼に始まり礼に終わる」という武道の心を忘れず、相手への思いやりと尊厳の心を表現してくれた姿は清々しく印象的だった。
大野選手はインタビューに答えて「柔道は対人競技なので相手がいる。敬意を忘れず、きれいな礼ができたと思う。日本の心を見せられる場なので、よく気持ちを抑えられたと思う。」と述べた。
近年の日本の柔道選手は金メダルで大きくガッツポーズをする選手が多く日本の柔道もスポーツ化された「JUDO」に成下がったのだなぁ、と諦め気味の感があったが、大野選手の「礼」は武道の心を「意識」しての表現だったと分かり嬉しかった。
四年後の東京オリンピックでは、メダルの色に関係なく「日本の心」を世界の人に見せることのできる柔道をして欲しい。
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