コタパパの独り言

日記ページの上部に入れたい言葉・画像など
2011年02月の日記

合気道 昇段者の面々

初段の賞状を持って笑顔の I さん。
彼女は高校3年生、滋賀県の看護専門学校に進学が決まったそうです。彼女のお母さんも看護士で、親子の夢が叶ったとのこと、オメデト〜。

I さんとの稽古は、初段になって初めての稽古でしたが、今までの彼女の技とは大違いでしたヽ(^o^)丿力強さとスピードがグンと増し立派な黒帯の実力になっていました。審査へ向けての稽古で成長したのですね。

男性4人の写真は、今回の審査で段位充可された4段のMさんと2段のNさん、Iさん、Kさん。Mさんは大学時代から合気道を始めたという方ですから、合気道歴は30年を越えているでしょう。

みなさん年頃もよく(^^;責任ある仕事をしている年代。進学校の教師、会社の責任ある部署、あるいは事業展開をしている方など多忙な人たちです。普通であれば週2回の稽古などに時間をとれる訳がないのです。どうにかスケジュールを調整して皆さん参加される継続力は立派だと思います。
2011年02月24日(木)   No.38 (武道)

強い夢は叶う! 

長崎市立西北小の卒業生で、歌手のさだまさしさんの言葉を刻んだ石碑が誕生しました。玄関前に据えられた碑には、「強い夢は叶う!」という言葉と、笑顔のイラストが刻まれています。

除幕式には、児童や地域住民ら約120人が出席。
山川校長が「さださんの絵に毎日触ったら夢がかなうのではないかと思う。自分の夢を育ててほしい」とあいさつ。新聞記事の写真は夢がかなうよう願いを込め、石碑に触れる児童たちです。(新聞記事から)

この小学校の校長先生は、合気道の仲間です。

この話を稽古が終わった後にすると、山川さんが「私も今日、願いを込めて石碑に触ってきました。」とおっしゃるので「何を願いましたか?」と尋ねると、「合気道で二段がとれますように。」ですって(^^♪

その山川さんは59歳、合気道は稽古10年目、現在は合気道初段です。そして3月で定年、第二の人生がスタートします。おつかれさま、そしてガンバレ〜(^^)
2011年02月24日(木)   No.36 (日記)

やっぱりアナログ

このところレコードを一日中聴いています。レコードの柔らかく温かい音は一日聞き続けても疲れないのです。

CDのデジタル音は鮮明なのでしょうが、やはり人工的な音に聞こえます。長い時間聴くには、レコードの方が心地よく優しい時が流れていく感じがします。

アナログは、同じLPを聴いても装置によって大きく音質が変わります。プレーヤーや針を変えれば違った音になるし、アーム、針圧、ターンテーブル、ターンテーブルシート、ケーブルなどで音が変わるのも楽しみの一つです。(^^♪

写真(左)の上のプレーヤーはJAAZ用、下は主に古いレコード用として使用しています。
2011年02月21日(月)   No.34 (音楽)

父からの提言

小太郎、22歳の誕生日

以下は私から息子への提言です。

今までは成人したとはいっても子供に毛の生えたようなもの、22歳は立派な大人だから「大人の振舞い」をしなさい。

今まで順風満帆、自分の思い通りになってきたようだが、これからは多分「向かい風」になるはず。これからの「向い風に立ち向って進み切れないと「追い風」は吹いて来ない。

これまで楽に生き抜いてきた分、これからは努力をしないと、その先はずっと大変なことになるからね。(^^♪
2011年02月12日(土)   No.35 (日記)

槙健一の誕生日。

今日は一日、槙健一。

槙健一 - Banana Moon







槙健一 - リボン







槙健一 - 愛しい人よ








1970年2月11日 長崎市に生まれる。

1990年 20歳でドラマーを目指して上京。
24歳からギターを始め作詞作曲をし、ボーカルをとるようになる。

1995年4月21日 ビクターから「夢の吹く丘」でデビュー。

1995年10月1日 ワールドピースフェスタで「リボン」を歌う。
1996年12月12日 第1回ピースビートクラブコンサートを主催。
1999年12月8日 第4回PBCコンサートまで毎年長崎で開催。
2002年9月1日  午前2時28分、槙健一32歳、永眠。

2003年9月6日7日 槙健一を愛する人達の力で、追悼の平和コンサートが開催され、槙健一の意志は引き継がれていく。そして槙健一と槙健一が残した歌は、永遠に輝き続ける。

現在、槙健一の歌「リボン」は、長崎での平和のイベントや世界での平和のイベントでも歌われ、その輪はだんだんと広がっており、全国の小学校などでもイベントで歌われている。


   平和賛成 ( 槙健一の言葉です。)

   僕等が願う平和とは
   些細な喜びであったり
   夢を掴んだ瞬間であったり
   他人の痛みを感じれる事であったり
   自分の喜びを分け合えることだったり
   心の豊かさのスペースは誰もが違う
   そして僕等の願う平和とは
   武器より軽く持ち易く
   地球より重く大切なものである     槙健一


コタパパの槙健一ファンページ
http://www.cotapapa.com/maki/
2011年02月11日(金)   No.33 (音楽)

道着は身体の一部

写真左上は、先日まで着ていたボロボロになった道着です。
道着を買えなかった訳ではありません(^^;
何枚か購入しても、どうしても身体にフィットしなくて着る気がしなかったのです。

写真左下は「師範用道着」。師範が着るのはきっと上等だろうという単純な考えでの購入です。値段は普通の道着の3倍もしましたが、とても立派な仕立てでした。しかし生地が分厚すぎて動きにくい、とても私向きではない(^^;

道衣は身体の一部分ですから、着用している事を意識させないような道着がベストです。今回は空手着と同じ生地の帆布製のものを探して購入しました。合気会の承認マーク入りです(^^♪
2011年02月11日(金)   No.32 (武道)

帽子好き

帽子が好きで若い時からいろんな帽子をかぶってきました。帽子はファツションの一部ですから、自己表現する上でのアクセサリーとして楽しんでいたのでしょう。

学生時代には、キューバのカストロ首相がかぶっていたような「カストロ帽」を好んでかぶっていました。最近では石川遼君も「カストロキャップ」を被っていますね。

サラリーマン時代は「ハンチング」「テンガロンハット」など。そして最近では普通の「キヤップ」から「ミルキー」になっています。

写真の帽子は一目惚れして、ずいぶん前ですがオーストラリアで買ったもの。オーストラリアならではのワイルドなメンズ サンハット、本革でできていて完全防水だからこれで水が飲めるらしい。でも、この帽子で外に出かけたことはありません(^^;
2011年02月08日(火)   No.31 (愛用品)

よれよれのサンドバッグ

我が家の車庫の天井にぶら下げたサンドバッグ、30数年前からの愛用品。最近では私より息子の小太郎がよく使っているようです。(^^♪

私が空手を始めた十代の頃は、サンドバッグやミットは無かったと思います。拳と手首を鍛え正しいフォームを習得するために、板に稲のわらを巻いて束ねた「巻き藁」を毎日何百回も突くことが初心者の稽古の一つでした。

拳の皮が破れ骨がつぶれ血まみれになりながら突いて突いて突きまくる・・・・そしてようやく「拳のタコ」が出来てきます。

その頃の空手家はまず「拳のタコ」を作ることが大切だったのです。若い頃、喧嘩になりそうになると「拳のタコ」を見た相手が「空手やってるのか」ということで喧嘩にならずに済んだ事が何度もあります。(^^;

空手もスポーツ化してグローブ空手になり、むやみに拳を強くする必要はなくミット突きぐらいの練習で終わっているようです。ですから昔の空手家みたいに拳にタコが出来ている人は見かけません。みんな拳がきれいです(^^;
2011年02月03日(木)   No.29 (愛用品)

今日は、Jason Mraz(ジェイソンムラーズ)

昨年はよく聴いたJason Mraz、最近しばらくご無沙汰していたら、息子の小太郎が「これいいよ」と持ってきたのはJason Mrazのアルバムで「このCD持ってるよ」と言うと「え〜〜」と驚きの声ヽ(^o^)丿

昨年、小太郎にも聴かせたはずだけど、その時はピビッとこなかったのでしょう。

このところ毎日聴いています(^^♪

Jason Mrazは、1977年生れ、アメリカ出身のシンガー・ソング・ライター。歌唱力、演奏力抜群です。なにより気分が爽快になります(^^♪

ジェイソン・ムラーズ Jason Mraz
http://www.wmg.jp/artist/jmraz/



Jason Mraz - Make it Mine (Music Video)
2011年02月01日(火)   No.28 (音楽)

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