武道は礼法から

「昔、礼節の国と称せられ他国からも尊敬された日本は、今や礼を忘れた心なき集団とも言える状態である。然も、日本武道を修行しておられる人々の中にさえ礼に対する乱れは目に余るものを感じる。・・・・・ 」

上の言葉は、合気道二代道主(植芝吉祥丸)が「武道の礼儀作法 / 野中日文」の初版本に寄せた推薦文の一部です。礼なき武技は武道ではなく、単なる暴力となります。恭敬の心の表現があってこそ武道なのです。

武家の礼法の小笠原流32代当主小笠原忠統は、真の礼法とは「こころ」と「かたち」から成り立ち、「こころ」とは相手を大切に思うこころ、「かたち」とはそのこころを行動によって表すこと、と言っています。
 
相手に対する敬いの心や素直な心の動きを表したものが礼法で、武道の「型」のように、作法の「型」としての表現があり、その動きには無駄がなく合理的で折り目正しく、きれいな「型」となっています。

しかし、武道の礼法・作法については、武道によって作法は異なり、又は同じ武道でも指導者の考えによって異なることもあります。

例えば「立ち方、座り方」にしても、武道の種類、あるいは道場によって3つの作法があります。

1.“左座右起”(さざうき:着座は左脚から/起立は右脚から)
2.“右座左起”(うざさき:着座は右脚から/起立は左脚から)
3.“陰の足から引く”(着座は上座から見えない方の 足から)

現代剣道では「右手を刀」としているので“左座右起”(さざうき:着座は左脚から/起立は右脚から)と決められいます。右利きの人は、左足を前に構えるからで、構えは、刀である右手を脇に引いて、いつでも対処できるように敵に向けて備えるためといわれてます。

しかし、小笠原流による武家の礼法では、“右座左起”(うざさき:着座は右脚から/起立は左脚から)と記されています。(室町時代に確立されて約700年続く小笠原家は将軍家糾方師範として「武家の礼法」を代々伝承。小笠原流礼法として一般に知られています。)

今は左座右起の講道館柔道も、嘉納治五郎の時代は右座左起であったものが、昭和18年より他の武道と統一する形で、従来の右座左起から左座右起へ改正されました。また、柔道の試合は、座礼から試合をはじめていたが、昭和42年から立礼から始めることなったと明記されています。

合気道の場合、合気会本部が発行している合気道教本によると、右足から先に畳に着き、立つ時も同様に左膝を先に立てると道主が指導していますので「右座左起」となります。

また、古流柔術や古流空手などの徒手空拳の武術・武道は、現在も「右座左起」で決められているところが多いようです。
2011年09月25日(日)   No.73 (武道)

合気道の昇級審査が近まりました。

審査前は審査技の稽古に熱が入ります。しかし、審査で先生が見るのは“技”の出来だけではありません。

技の審査に入る前からの所作、立居振る舞いがしっかり出来ているか見られるのです。入場する時の立礼、歩く姿、正座の仕方、座礼の仕方など技の審査に入る前から審査は始まっています。

子供たちには「所作はきれいに、しっかりやりましょう。審査では技だけでなく所作を見られます」と毎回注意しているので、姿勢や座礼の仕方なども良くなってきました。心配なのは大人の人達で、姿勢や立居振る舞いの悪い癖は、なかなか修正出来ないようです。(^^;

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毎年開催されているサマーキャンプの写真です。
諫早少年自然の家キャンプ
http://www.cotapapa.com/aiki/110820/
2011年09月22日(木)   No.71 (武道)

合気道 ~ 聞取りにくい話を聞く努力も修行のひとつ

今日の合気道は少年部指導の担当。

このところ体調が悪く声の出もよくありません。子供たちに指導する声がしっかり聞こえるのか心配です。このような時は子供たちに次のように言っています。

「今日は声がかすれて話が聞き取りにくいと思います。でも聞き取りにくい言葉や話は“聞き取ろうと集中して努力すること”それも稽古の内です。」

最近は何でも大音量で聞くことが出来ます。時には低音量、聞き取りにくい音を聞こうとする練習も必要ではないかと思っています(^^;

また、昨今の大人の場合を考えてみると、何かの集会の時に発言した人に「声が小さいです、はっきりお願いします」なんて無礼なことを言う人もいるようです。

「大きい声で」と子供たちに指導するのは、当たり前であり良いことです。しかし、大人の人の場合は少し考えた方がよいでしょう。人はみんなが声が大きい訳ではありません。歳を取ったり病気を持っている人は声がかすれ大きい声が出ない人、言葉がはっきりしない人もいます。あるいは、性格的に大きい声を出せない人もいます。

その場を静かにして、その人の言葉を聞き取る努力もせずに他人を責めるのは如何なものでしょう。子供たちも大人になって、そのようなことがあったら“自分のボリュームチャンネル”を切り替えることが出来るようになって欲しいと思っています(^^ )♪
2011年09月15日(木)   No.68 (武道)

文集 “道” 黙々と作業中

長崎合気道会は創立されて33年。毎年1回、全会員の作文を集め“道”と題して発刊し今回は“第33号”となります。今年も全員の原稿提出が完了して、大村で文集作成作業を行いました。

会員の人たちとの交流ができるのは、夏のキャンプと年末の忘年会ぐらい。稽古ではいつも会っているのに稽古中は私語厳禁ですから何年も一緒にいる割にはその人のことは何にも知らないということになります。

この文集のおかげで、この人はこんな趣味があったのか、こんな考え方をするのか、こんな一面があったのかと知ることができ、会員の相互理解にも役立っています。

黙々と作業中の模様
http://www.cotapapa.com/aiki/110827/
2011年08月27日(土)   No.66 (武道)

合気道 ~ ある日の稽古 2011

礼を重んじ和気あいあいと・・・しかし、技の習得は向上心を持って熱心に・・・ ある日の稽古を写真でまとめてみました。稽古はこんな感じでやっています。(^^ )♪

長崎合気道 稽古風景 2011年ある日。
http://www.cotapapa.com/aiki/110701/
2011年08月22日(月)   No.65 (武道)

合気道 ~ 礼儀

子供たちを指導する際に、目上の人の前を通る時は必ず「黙礼」して通りなさい、と教えています。

女の子たちは毎回しっかり黙礼ができるようになっていますが、男子は何回言っても忘れてしまうようです(^^;

2年ほど前に入会してきた小学生のA君。最初のころは、話をしていても よそ見ばかりして「これで合気道やっていけるのかなぁ」と心配していましたが、そのA君が隣の男子に「ちゃんと黙礼して行くんだぞ」と言っているのが聞えました。

うれしいことですヽ(^o^)丿
2011年07月05日(火)   No.60 (武道)

初志貫徹

「コタパパの独り言」、5/18投稿の「相手を敬うココロ」で“ 親しき仲にも「敬語」あり ”という内容の独り言を書きましたが、知人のNさんが「身につまされます・・・・ 」という書込を掲示板にしてくれました。

Nさんは、子供の時から夢の職業は看護師だったそうですが、紆余曲折・・・・会社員から12年後に看護学校に入学し、働きながら勉強して見事合格、看護師の仕事をなさっています。

子供の時の思いを実現させた実行力はすごいですね(^^)b

Nさんは「敬語は使っていますが相手の気持ちを汲み取るのが苦手で・・・」と書いてます。今の煩雑多忙な医療現場では理想通りには行かないことが多いでしょう。その中で前向きに努力している姿はすばらしいと思います。

掲示板では、行動文化研究者で武道家の野中日文氏の言葉を引用してお答えしました。少し武人的な表現かもしれませんが。(以下の通り)


非礼にいちいち腹を立てる必要はない。
無教養な人間が一人、目の前に立っているというだけのことだ。

「愛」はこの際無用。大きくなればよい。
「愛」という言葉に拘束されて自由を失うのは愚かである。
敵を愛することなど人間にはできないし、またその必要もない。
嫌いな相手を「愛する」必要もない。大きくなりさえすればよい。同じことだ。


野中氏は、昭和11年宮崎生まれ、合気道開祖 植芝盛平直伝の合気道八段。武道行動学などの研究家です。

野中日文の垂直思考
http://nonaka.kuroki.mods.jp/

Nさんのブログ「ねこた通信」
http://blog.livedoor.jp/ultra_hitoritabi-nekota55/
2011年07月01日(金)   No.59 (武道)